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「社会」が創り出す「犯罪」と「無敵の人」‌

1.概要

先月行われた参議院選挙の期間中に安倍晋三元総理が銃撃され、多くの国民に衝撃を与えた。

この事件を契機に注目された概念の中に「無敵の人」というものがある。

そこで本レポートでは「無敵の人」について、犯罪の根本的原因及び改善策について考察した。

 

2.序論

まず、「無敵の人」とは何者なのか。「無敵の人」について、最初に言及したのは西村博之である。それ以降「無敵の人」はインターネットスラングとして、明確な定義を持たないまま普及した。ただし本レポートでは西村の言及を参照し、「無敵の人」を「社会的信用が皆無で、逮捕されることがリスクにならず(ないため)容易に犯罪を行なってしまう人」と定義する。

さて、そうした「無敵の人」が犯した犯罪は数多く存在する。記憶に新しいのは、2022年7月8日に起きた「安倍晋三元総理の銃撃事件」だ。加害者の山上は「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)で家庭がめちゃくちゃになり、(同連合を)絶対成敗しないといけないと恨んでいた」と供述した。なお同連合の活動を非難するブログを運営していた男性は、「彼(山上容疑者)がやったことは許されない」とした上で、「相談できる人がおらず、最後に思いを誰かに伝えたかったのではないか。書き込みをしていたブログの運営者である私を友達だと思っていたのかもしれない」と話す1)。以上より山上容疑者は孤立した環境下におり、最後の手段として安倍元総理の銃撃に及んだとみられる。

またこれ以外に、2022年8月20日、当時中学校3年生だった少女が、53歳の母親と19歳の娘を背後から包丁で切りつけた「渋谷母子殺傷事件2)」・2022年6月22日、インターネットカフェにて人質を取り立てこもった「埼玉立てこもり事件3)」・2021年10月31日、京王線にて乗客を刺し車内に放火した「京王線無差別殺傷事件4)」(加害者の服装にちなみ「京王線ジョーカー事件」とも)などの事件も、加害者が「無敵の人」である疑いが強い。特に「京王線無差別殺傷事件」を起こした服部容疑者の「人を殺して死刑になりたかった。(8月の)小田急線の事件を参考にした4)」という供述は、本レポートの「無敵の人」の定義を如実に表していると言えよう。

これらの「無敵の人」関連の犯罪は、無差別殺傷事件及び凶悪犯罪(殺人・強盗・放火・強姦(ごうかん)など)に分類されることが多い5)。特に無差別殺傷事件は、「不特定多数に殺意を向ける」「自暴自棄になり自分の問題に周囲を巻き込む形で犯罪を犯す」「自らの今後や被害者への謝罪などを一切顧みないような姿勢」などの特徴があり、他の犯罪とは種類が大きく異なると考える。

また無差別殺傷事件の加害者の特徴として、「…多くは男性であり、その年齢層は一般的な殺人事犯者に比べて低い者が多い。犯行時において、友人との交友関係、異性関係、家族関係等は劣悪である者がほとんどである。また、安定した職業を得ていた者は少なく、低収入にとどまる者が多い一方で、居住状況でも不安定な者が相当の割合でいる。全般的に、社会的に孤立して困窮型の生活を送っていた者が多いと評価できる。」との結果報告がある6)。これは、本レポートの「無敵の人」の定義のうち、「社会的信用が皆無で、逮捕されることがリスクにならない」という記述を説明する要因になるのではないか。

なお「無敵の人」はあくまでもインターネットスラングであり、法的・学術的な定義があるわけではない。筆者らは「無敵の人」の差別の助長及び揶揄に関わる意図は一切ないことを明言する。これ以降は、本レポートで設定した定義の傾向を強く感じる加害者及びその事件を取り上げつつ、社会学的な理論を用いて、彼らと社会とのつながり、ひいては彼らの心理の追求につとめたい。

 

3.本論

我々は犯罪を目撃した際、「被疑者の性格が悪いから犯罪を犯したのではないか」と考える。だが、その考えは正しくない。犯罪行為は社会からの誘導によって起きるのである。これについて、今回は「共同体」「組織」「関係」の視点から証明しよう。

まず、国家レベルの共同体を説明する3人の理論を紹介する。

1人目はエミール・デュルケームだ。(そもそも犯罪とはどのように発生するのだろうか。多くの人々は「法律に違反しているから『犯罪』と見なされ、裁かれる」と考えるだろう。しかし、彼はその考えに反対した。)彼によると、「犯罪だから非難するのではなく、非難するから犯罪」⁽¹⁾になる。社会は個人から独立して存在するという前提の基、社会に共有されている信念・価値観・感情(以後、共同意識と言う)を逆なでされた場合、社会は自分を守るために逆なでした行為者に制裁を与える。その結果、行為者は社会における「犯罪者」として位置づけられるようになる。つまり、「犯罪」や「犯罪者」は社会によって形成される概念なのである。例えば、安倍元総理暗殺事件で我々は加害者や警察に怒りを覚えただろう。これは、加害者山上が共同意識を逆なでした結果の怒り(反作用)だと捉えることができる。そして、メディアを通して山上や警察官への批判(制裁)をすることで彼らが「悪いもの」として確立することになったのだ。さて、この犯罪について多くの人々は「犯罪は社会の腫瘍であり、取り除かなくてはならない」と考えるだろう。しかし、これについても彼は反対した。彼は、「最も一般的な形態を示している事実のほうを正常と呼び、もう片方の(例外的な)事実に病的ないし病理的という語を与えよう」と宣言した。その上で、正常なものは「平均的類型」としてまとめることができる⁽²⁾として、「犯罪は正常な状態である」と結論づけた。つまり、正常な状態とは社会で一般的に行われていることであり、どのようなことが行われているか分類することができるということだ。一方、病理的な状態とは社会で例外的に行われていることであり、どのようなことが行われているか分類することが不可能であるということを主張した。そして、犯罪は社会で一般的に行われており、分類することができるため、正常な状態と結論付けたのだ。最後に犯罪のパターンにも触れておこう。彼は社会によって人々が自殺に追い込まれていると主張したが、「犯罪」を「自殺的行為」と視ると、犯罪分析にも応用できる。彼によると、人々が自殺に追い込まれるパターンは3つある。社会全体に共有されている道徳的権威(共同意識)から個人が離れすぎて個人が追い込まれる「自己本位的自殺」、共同意識と個人が近すぎて追い込まれる「集団本位的自殺」、共同意識が多様なために行動規範を見失い、余計な欲望を実行した結果、成功した人は果てしない欲望に追われ、失敗した人は絶望に追われ自殺に追い込まれるという「アノミー的自殺」だ⁽³⁾。この分類を用い、現代は共同意識が残りつつもアノミー(無秩序)状態になりつつあると主張する。つまり、犯罪者は無秩序状態であるこの社会で自殺的行為を行ってしまうという構造が現代で出来上がっているということだ。以上よりデュルケームは、自殺的行為が起きやすい無秩序な社会で、社会に共有されている信念・価値・感情を逆なでされてしまった行為者は、社会によって「犯罪者」というレッテルを貼られると主張した。だが、それは正常な状態であるということだ。

2人目と3人目はアンソニー・ギデンズとウルリッヒ・ベックだ。ギデンズによれば、かつて人々は時間的にも空間的にも制限された場所で生活していた。しかし、グローバル化や情報化が進んだ現代では時間と空間から解放され(「脱埋め込み」)、自分が今まで信じていた「当たり前」が絶対に正しいとは限らないことを学んだ。よって、人々は常に自分を疑い、高め、成長しなければ生きていけないという「再帰性」の時代を生きなければならなくなった⁽⁴⁾。それにより、「自分をネガティブに評価している事自体がいけないのではないか」といった自己の根本まで疑うようになったという⁽⁵⁾。また、ベックはギデンズの「再帰性」に加え、「流動性」と「個人化」が起きているという。順に説明しよう。かつては自分の所属する集団を通して「自分とは何者か」という自己が出来上がっていた。しかし、転職が一般化しつつある現代では職場が変わり「自分とは何か」という自己が常に変わり続けるようになった。これを「流動性」という。また、かつて人々は組織に守られており、組織に従って行動すれば安心して生活できた。しかし、組織に守ってもらえず集団にべったりすることがない現代では、挑戦した損害が自己責任としてすべて帰ってくることになる。これを「個人化」という⁽⁶⁾。さて、このような「再帰性」「流動性」「個人化」といった不確実な状態が普通となった社会では、人々はどうなるだろうか。人々は「自分とは何者か」を求め、焦って目の前にある肩書をつかんでしまうかもしれない。それが例え「犯罪者」や「無敵の人」という肩書であってもだ。京都アニメーション放火事件の加害者は職場を転々としており、まさに不確実性の時代の波に飲み込まれていた。犯罪行為を擁護するつもりはないが、消えそうな自分の存在意義を必死に探していたと捉えることもできるだろう。

次に家族やビジネスレベルの組織を説明する3人の理論を紹介しよう。

1人目はフェルディナント・テンニースだ。彼は近代社会においてゲマインシャフトのゲゼルシャフト化が進んでいるという。ゲマインシャフトとは、家族・友人・地域住民といった本能によって感情で結びつくグループである。一方、ゲゼルシャフトとは、企業・都市・国家といった自発的に利益のために結びつくグループである。彼は、資本主義社会における重要なグループは、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ変わっていくと主張した⁽⁷⁾。つまり、資本主義が発達した現代においても家族や友人、地域住民が大切とされず、企業や都市、国家における人間関係が重要視されるようになったのだ。実際、家族や地域活動そっちのけで仕事に従事する人たちも少なくないのではないだろうか。では、この社会において人々はどうなってしまうのか。家族や友人、地域住民は個人とプライベートまで深くかかわるグループであるが、そのグループと個人との関係性が希薄になる。するとゲマインシャフトは個人の苦しみに気づくことができず、犯罪を防ぐことができなくなるのではないかと考える。つまり、犯罪を止めるストッパーがなくなってしまうということだ。

加えて「無敵の人」及び無差別殺傷事件の加害者には「…安定した職業を得ていた者は少なく、低収入にとどまる者が多い」という特徴がある(6)。職業生活は不安定であるにも関わらず、周囲の環境はゲゼルシャフトに置き換わっているために、彼らは現実世界に対応できないのである。一方、家族や友人などのゲマインシャフトのあり方も、コロナ渦で様変わりした。斎藤は「それまでは家族のつながりをベースとして横のつながりや友人関係、そういうものも含めてなんとか持ちこたえていたものが、コロナ禍で誰とも会えない状況で完全に孤立してしまう。かろうじて親くらいしかないみたいになってしまうと、自暴自棄が一層加速するということが起こり得るでしょう。」と述べ、コロナ渦が社会的な孤立・ひいては無敵化の促進に加担したとしている⁽⁷⁾。

こうして彼らは苦しみを一人で抱えることになり、ますます孤立していく。

2人目と3人目はフィリップ・ジンバルドーと小林桜児だ。彼/彼女らは、両親の不仲な関係が子供への生きづらさを高めた結果、子供の依存症を誘発してしまったと主張するが、これは再犯と関係があるのではないかとみている。ヴィラントによれば、温かい家庭での子供時代(子供の主体性や自立心を重要視する両親と強い絆で結ばれ、少なくとも兄弟の一人と非常に仲がいい状態)を過ごすことは、将来の幸福や成功、他者に対する信頼の発達を促進するうえで大きな影響を果たす。また、愛と信頼を家庭で学べなかった子供は、立派な大人になるためのベースとなる自己主張、自発性、自立性を身に付けるうえで不利益になる⁽⁸⁾。ジンバルドーはこれらを引用し、両親の離婚や両親の不仲、父親不在により、両親はストレスコントロールができなくなり、子供への信頼の教育が行われなくなる。その結果、子の社会への信頼が消失し、子は成績悪化、労働問題、人間関係や交流の希薄、ゲーム依存、肥満、ポルノ依存に陥っていると主張する⁽⁹⁾。また、小林は、薬物依存の患者は明らかに家族図が複雑なケースが多いことを示した。

そして、単独で感情をコントロールする術を親から教えられなかったこと、また「安心」「愛情」が与えられていないことに対し潜在的な恨みを覚えることなどが大人への報復につながる。子どもは、報復を実現するために反社会的行動をとることで、恨みや孤独感を抑えて感情の安定化を図る。これらを踏まえて小林は、アディクション(広義の依存症)の原因は、生きづらさから生じる負の感情をアルコールや薬物の使用・ギャンブルなどの(他者と関わらず)自己完結的な行動にて処理せざるを得ないことにあるという「信頼障害仮説」を提唱した⁽¹⁰⁾

また依存症の程度が重くなると自己完結的な行動だけでは収まらず、中毒症状などで被害妄想が出現し、犯罪につながることもある。

以上より、両親との関係が子どものメンタル不調に直結し、両親への信頼ではなく、短期的な発散方法を信頼することで再犯行為に依存することが考えられる。

京都アニメーション放火事件の加害者は再犯を繰り返していた。そして、彼は離婚と父親の不在を経験している。まさに、ジンバルドーや小林の言う、家族に頼ることができずに短期的な発散方法、つまり再犯に依存している典型的な例と言ってもよいだろう。

最後に人々の関係を説明する3人の理論を紹介しよう。

1人目と2人目はアーヴィング・ゴッフマンとジョージ・ハーバート・ミードだ。ゴッフマンは、「行為者の周りの人がラベルを張り付けることでその人がさらに過激化する」というベッカーのラベリング理論⁽¹¹⁾を応用した。彼によると、行為者は周りの人々から「社会から望ましくないとされる悪いイメージ」のラベル(「スティグマ」:烙印)を貼られることで、周りの人が離れていき孤立する⁽¹²⁾。その結果、行為者は自分にふさわしいラベルを演じようとしてさらに過激化する⁽¹³⁾。この理論にミードの理論を加えてみよう。彼は、人々が持つ自己は2つあるという。他者から期待される役割に基づく自己、つまり「私はあのひとにこんなことを期待されたのだから、そうあるべき」といった自己を「ME」と呼んだ。一方、自らがなりたい自己、つまり「いや、他者なんてどうでもいいんだ。自分はこういうことをしたい」といった自己を「I」と言った。その2つの自己は互いにぶつかり合っている(「役割葛藤」)⁽¹⁴⁾。この2人の理論を組み合わせてみると面白いことが分かってくる。要するに、行為者は社会から烙印を押され、悪いイメージの通りに行動する「ME」を強要された。そして「Me」と「I」が闘った結果、「Me」が勝利し、そのイメージにあったものを演じようとする。

例としては「埼玉立てこもり事件」の長久保容疑者の犯行動機がこの理論に当てはまると考えられる。容疑者は10年前の2012年にも、愛知県内の信用金庫にて同様の立てこもり事件を起こしている。当時、彼は犯行動機について「前科者で立場が弱く、社会への不満を発信する手段として『籠城』を考えた」と語った。約9年の刑期を経て出所したが、仕事を辞め事件の1週間前からはネットカフェにて生活しており、所持金は14円であった。今回の「埼玉立てこもり事件」の犯行動機は「自分の人生に嫌気が差した。死刑や無期懲役になりたかった」という(3)。人は周囲から貼られるラベル通りの人間になること(ここでは「容疑者である」というラベル)、また一度ラベルを貼られると簡単には覆せず、「周囲の思惑」により「自分が本来したかったこと」が阻害されてしまうことなどを痛感する事件である。

孤立による過激化といえば、人々はなぜテロリスト化するのかを説明しようとした大治朋子の理論もある。彼女によると、宗教などのテロリストグループは、メンバーになった者を外集団に逃げていかないよう外集団の価値観を徹底的に批判し、家族や親しい人とのコンタクトを禁じて孤立させる。グループリーダーはマインドコントロールと権威への服従効果を使って完全に人々を取り込む。また、移民については、大きな事件を起こし、他国にいる自宗教の人たちを孤立化させ、自陣営に引き込むことを多数の研究を基に明らかにした⁽¹⁵⁾。ここで重要な点は、行為者が周りの人々に見放され、孤立することでより過激化することだ。例えば、社会から孤立し、集団的な犯罪に走った集団として「日本赤軍」が思い浮かぶ。日本赤軍のメンバーは相次いでテロを行っている。理論で分析するならば、「日本赤軍」という組織に引きずり込まれた成員は、「犯罪を犯したグループの成員」として周りから孤立し、更にテロリズムに走った結果だと考えられる。

さて、ここまで様々な理論を紹介することで「犯罪は社会が誘導した結果だ」ということを証明してきた。改めてまとめてみよう。デュルケーム理論では「犯罪」という概念は社会によって作られ、無秩序状態によって犯罪が誘発されることを示した。ギデンズとベックの理論では不確実な時代における「何者かになりたい」という思いが犯罪を誘発させることを示した。テンニースの理論では家族や友人、地域住民の力が弱くなっており、犯罪のストッパー機能が果たせなくなったことを示した。ジンバルドーと小林の理論では両親の関係性が子供の犯罪依存をもたらす可能性を示した。ゴッフマンとミードの理論では社会から期待される悪いイメージを必死に演技しようとする人々を明らかにした。大治の理論では、行為者から周りの人々が離れていき、行為者はますます過激化することを示した。

このように、犯罪には様々な捉え方がある。正直に言うと、すべてが社会学で正式に言われているものではない。社会学で正式に言われている理論のすべてを引用しているわけではなく、こじつけのものもある。そのため、社会学者にいわせれば「厳密にいえば違う」と言われるだろう。しかし、多角的な視点を持って「犯罪」を分析することは社会を理解するに等しく、非常に重要である。

 

4.対策

では、犯罪者や「無敵の人」を出さないようにするために、行政や我々は何ができるだろうか。筆者らは国民一人ひとりが社会と自分について客観的に知るということが大切だと考える。社会と自分との関係性について、これらは表裏一体だと言える。まずは社会について触れよう。本論では多くの部分を理論の説明に費やしたが、これは読者に「社会はどのように成り立っているのか」ということを知ってもらいたかったからである。確かに「理論は現実からかけ離れたものである」という意見はわかる。だからといって、理論が無意味だということにはならない。なぜなら、理論は現状を分析し、適切な行動指針となってくれるからだ。理論を身に付けていれば様々な分野に応用でき、自分なりの対策や行動を編み出すことが可能になるのだ。

次に自分について触れよう。人々は自分がどのような社会的位置に存在し、どのような影響を他者にもたらすのかを自覚しなければならない。例えば、「自分は世の中にあるどのイデオロギー(政治的思想)に属するのか」、「自分はどの学派に賛同するのか」、「自分は今感情で話しているのか理性で話しているのか」などである。そうすると「自分はどう行動すべきか」ということが理解できるようになる。

ここで、冒頭に「社会と自分は表裏一体」だといったことを詳しく述べよう。これは、自分と他者、又は自分と社会間でコミュニケーションをすることで、よりよい社会が形成されることを表している。ハーバーマスによれば、「目的合理性」ではなく、「コミュニケーション合理性」を大切にすべきだという。目的合理性とは、決められた目標をいかに効率的にコストパフォーマンスよく達成するかを極めた考え方である。一方、コミュニケーション合理性とは、共通の状況に立たされた人々が互いに話し合うことで理解と合意をし、誰が何をするのかを調整することで皆で決めた目標を達成するという考え方だ。このコミュニケーション合理性は、福祉社会の形成と自己の存在意義の創出をもたらしてくれる⁽¹⁶⁾。また、完全なる他者ではなく、他者のように自分自身とコミュニケーションを取ることでも自己を理解することもできる。ブルーマーは自分が考えていることを行動として「表示」し、現れたものを自分の立場や行為を基に「解釈」するというプロセス、つまり、自分との関わり合いを繰り返すことで、自分が新しくなっていくという⁽¹⁷⁾。船津はこのブルーマーが言う「自分自身の相互作用」やハーバーマスの言う「コミュニケーション合理性」を行うことによって、本論で記述したベックが危惧する「リスク社会」(小さなリスクが全世界をも巻き込む重大事件となる社会)を克服することができるという⁽¹⁸⁾

では、どのようにすれば他者と自分、自分と社会間でコミュニケーションを取ることができるのか。具体的な方策は2つある。1つ目は、先ほど述べた「コミュニケーション合理性」を高めるために、行政や民間などの社会が公共圏を形成し、議論を重ねることだ。ハーバーマスによれば、18世紀のイギリスやフランスではコーヒーハウスなどに多様な人たちが集まり、議論しあう雰囲気が出来上がっていた。コーヒーハウスが議論できる場所、つまり公共圏となっていたのである。公共圏は社会的地位が弱い人も意見を言うことができるため、弱者の意見でも政府に意見が伝わった。やがてコーヒーハウスなどにおける物理的な公共圏は衰退し、マスメディアやインターネットが、公共圏の役割を果たすはずだった。だが、そうはならなかった。マスメディアは娯楽と化し、インターネットはローカルな関係を維持するためだけに用いられるようになった⁽¹⁹⁾。特に日本人は議論を嫌う傾向にあり⁽²⁰⁾、その影響で思考停止に陥っていることが指摘されている⁽²¹⁾。今、まさにこの公共圏を形成し、国民全員で犯罪に陥りそうな人々を支えなくてはならない。そうすることで、彼らの孤立を防ぎ、社会の中に居場所を作ることができる。

2つ目は自己と社会についての知識を身に付けることである。マンハイムによると、「自分がどのようなイデオロギーを持っているのか」と言うことを知り、「自分はそのイデオロギーに縛られている」ということを自覚しなければならない。そして、その自覚している人々はと言うと知識人に多いという⁽²²⁾。つまり、知識を付けて社会とコミュニケーションすればするほど、自分ともコミュニケーションをすることができるようになると捉えることもできる。特に日々の読書とニュースへの注目は社会の理解を深めることになる。著者とのコミュニケーションによって知識を習得し、得た知識を使ってニュースを分析するようになると、格段と社会への理解が進む。そうすれば、「自分は相対的にどのようなイデオロギー(社会的思想)を持っているのか」(リベラルなのか保守なのか、資本主義なのか社会主義なのか)ということを知覚することができるようになる。まとめると、犯罪抑止のためには、自分の持つイデオロギーや社会的位置を自覚し、公共圏を形成して、「自分と他者」「自分と社会」間でコミュニケーションを取る。それによって、自分自身や社会を客観的に知ることが求められる。

 

5.参考文献

⁽¹⁾ エミール・デュルケーム.田原音和訳(2017)『社会分業論』ちくま学芸文庫 p.p.148

⁽²⁾ エミール・デュルケーム.菊谷和宏訳(2018)『社会学的方法論の基準』講談社 p.p.119

⁽³⁾ エミール・デュルケーム.宮島喬訳 (2018)『自殺論』中央公論新社

⁽⁴⁾ アンソニー・ギデンズ. 松尾精文,小幡正敏訳(1993)『近代とはいかなる時代か』 而立書房

⁽⁵⁾ アンソニー・ギデンズ. 秋吉 美都, 安藤 太郎, 筒井 淳也訳(2021)『モダニティと自己アイデンティティ』筑摩書房

⁽⁶⁾ ウルリッヒ・ベック.東廉 , 伊藤 美登里訳(1998)『危険社会』法政大学出版

⁽⁷⁾ フェルディナント・テンニース. 杉之原 寿一訳(1887)『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』岩波文庫

⁽⁸⁾ジョージ・E・ヴァイラント,米田隆訳(2008)『50歳までに「生き生きした老い」を準備する』ファーストプレス

⁽⁹⁾フィリップ・ジンバルドー.ニキータ・クーロン.高槻園子訳(2018)『男子劣化社会』昌文社

⁽¹⁰⁾小林桜児(2021)『人を信じられない病』日本評論社

⁽¹¹⁾ハワード・S. ベッカー, 村上 直之訳(1993)『アウトサイダーズ』‎ 新泉社

⁽¹²⁾アーヴィング ゴッフマン, 石黒 毅訳(2001)『スティグマの社会学』せりか書房

⁽¹³⁾E.ゴッフマン, 石黒 毅訳(1947)『行為と演技』 ‎ 誠信書房

⁽¹⁴⁾ミード, 稲葉 三千男ほか訳(1973)『精神・自我・社会』青木書店

(15)大治朋子(2020)『歪んだ正義』毎日新聞出版

(16)J.ユルゲン・ハーバーマス, 河上倫逸ほか訳(1985-87)『コミュニケーション的行為の理論』(上、中、下)未来社

(17)ハーバート ブルーマー, 後藤 将之訳(1991)『シンボリック相互作用論』勁草書房

(18)船津 衛ら(2014)『21世紀社会とは何か』 恒星社厚生閣

(19)ユルゲン ハーバーマス, 細谷 貞雄, 山田 正行訳(1973)『公共性の構造転換』未来社

(20)苫米地英人(2016)『思考停止という病』‎ KADOKAWA

(21)渡辺 利夫ら(2014)『究極の危機管理』内外出版株式会社

(22)マンハイム, 鈴木 二郎訳(1968)『イデオロギーとユートピア』未来社

 

ひろゆき(西村博之).“無敵の人の増加。”. 教えて君コミュニティー.2008-06,

(参照 2022-08-27)

https://web.archive.org/web/20210204181514/http://hiro.asks.jp/46756.html

 

益田裕介,”無敵の人について、精神科医目線でざっくり語ります”.早稲田メンタルクリニック.2022-01,(参照日 2022-8-27)

https://wasedamental.com/youtubemovie/5532/

 

(以下全て参照日は2022-9-9)

1)山上容疑者、生い立ちと旧統一教会への恨みつづる…安倍氏は「最も影響力のあるシンパ」.読売新聞.2022-7-17,読売新聞オンライン,

https://www.yomiuri.co.jp/national/20220717-OYT1T50037/

2)逮捕の中3少女の母「私への不満ためていたのかも」 渋谷の刺傷事件 少女は「電車で『きょう殺そう』と決めた」.東京新聞.2022-8-24,東京新聞Tokyoweb,

https://www.tokyo-np.co.jp/article/197672

3)埼玉立てこもり事件 報道陣に笑顔でピースの男は10年前の『立てこもり』を後悔していた。出所からわずか2カ月、なぜ再び?.47ニュース.2022-6-27,Yahoo!ニュース,

https://news.yahoo.co.jp/articles/0a4ada80a356dd3bac967a7699355c2e43dcc86a

4)「人を殺して死刑になりたかった」…京王線で乗客刺し放火の男.読売新聞.2021-11-1,読売新聞オンライン,

https://www.yomiuri.co.jp/national/20211031-OYT1T50156/

5)古田拓也.”京王線“ジョーカー男”から相次ぐ「無敵の人」はなぜ生まれる? 経済的観点から読み解く”.2021-11-12,ITmediaビジネスオンライン,

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2111/12/news036_2.html

6)法務総合研究所.”研究部報告50無差別殺傷事犯に関する研究”.2013,

https://www.moj.go.jp/content/000112394.pdf

7)斎藤環.”“無敵の人”はなぜ生まれるか【時流◆コロナと精神疾患の今】23”.2022-5.m3.com臨床ニュース,

https://www.m3.com/clinical/open/news/1041606

 

読書案内

初級者レベル『社会学用語図鑑

社会学の超基本理論を図でわかりやすく解説している書籍だ。社会学に興味を持った人にぜひ読んで欲しい。

 

初級者レベル『よくわかる犯罪社会学入門

犯罪を社会学的に分析することができる知識を身に付けることができる。

 

準中級者レベル『脱常識の社会学

社会学は社会の根本を疑い、社会をよくしていこうと試みる学問だ。その醍醐味ともいえる理論を教えてくれる。

 

中級者レベルレベル『社会学の基本 デュルケームの論点

エミール・デュルケームは社会学において社会を分析する3つの視方(方法論)のうちの1つを提唱した巨人である。彼の理論を最も深く広く解説している書籍だ。